2011年10月9日日曜日

フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●中島みゆき「時代」

●中島みゆき「時代」

オリコンで4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した(1970年代:「わかれうた」、1980年代:「悪女」、1990年代:「空と君のあいだに」、「旅人のうた」、2000年代:「地上の星」)唯一のソロ・アーティストでもある。

1975年5月、財団法人ヤマハ音楽振興会の主催による第9回ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン、現在のTEENS' MUSIC FESTIVAL)に「傷ついた翼」が入賞。

同年9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)から晴れてレコード・デビューを果たす。

そして、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストに「傷ついた翼」から急遽差し替えた「時代」によってグランプリを受賞。

つづけて11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞した(「時代」は同年12月にセカンド・シングルとして発売)。

これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックの川上源一に見出される。



1976年4月、ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表。

その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。

翌年には歌手としても「わかれうた」が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。

歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表の4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』には「世情」という楽曲が収められている。

この作品は後年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲のひとつとなっている。


1981年のシングル「悪女」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得し、翌1982年の年間チャートでも6位を記録、また、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達した。

1989年からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「夜会」(やかい)をBunkamuraシアターコクーンで毎年12月に上演するようになる。

「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、1998年に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されている。

1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやCMとのタイアップによってミリオンセラーを記録するシングルが後を絶えなかったが、その中において中島みゆきも例に漏れず、「浅い眠り」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録している。

この3枚のいずれもテレビドラマの主題歌として起用された楽曲であり、なかでも安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の「空と君のあいだに」は147万枚のセールスを記録した。

1983年発表のアルバム『予感』収録曲「ファイト!」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、現時点での中島にとっての最大級のベストセラーである。

1999年には文部科学省の国語審議会委員を務めた。現時点でこの審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきただ一人だけである。



2000年には25年に渡って在籍したポニーキャニオンを離れ、当時創設されたばかりで自らが取締役・主要株主として経営にも参画するミニ・メジャーのレコード会社、ヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。

以降現在までヤマハから作品を発表している。

移籍後最初にリリースされた中島のシングルが、NHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌「地上の星/ヘッドライト・テールライト」である。

このシングルは主に中島の作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週に渡ってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。

発売当初、このシングルは全くと言っていいほど話題にならなかった。

しかし、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『短篇集』には、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。

このアルバムを発売するにあたっては、ジャケットの仕様をめぐり岩波書店からクレーム(岩波文庫をもじって「山波文庫」=ヤマハ文庫と表記した)がつき、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。

このロングヒットをきっかけに中島は2002年の第53回NHK紅白歌合戦に出演。

『プロジェクトX』内でもとりあげられた黒部ダム(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。

このとき初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52.8%:ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録。

また、極寒の中で極度の緊張から2番の歌詞を間違えたにもかかわらず反響は大きく、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」は翌年1月、発売から2年半近くを経てシングルチャートナンバーワンに輝いた。

これはオリコン始まって以来のリリース後最長期間(130週)を経た1位獲得記録である。

同時に、1970年代 - 2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。



2005年12月28日には『プロジェクトX』の最終回に出演。

歌詞以外はほとんど声を発することなく、スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。

その影響で2006年1月16日、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」は、2004年2月2日以来のオリコンシングルチャート100位圏内返り咲き(66位)を達成。

通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。

『紅白歌合戦』及び『プロジェクトX』の最終回に唄う際、ほとんどMCがなかったのは、当の本人の「あっけらかん」さが表れるのがいやだった、と本人がラジオ(2006年12月15日『オールナイトニッポン』にて)で話している。



2006年、第56回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞した。

「コンサートツアー2005」が評価されてのこと。

シンガーソングライターとしては初の受賞者。

また同年には、TOKIOに提供した「宙船」の作詞が評価され、第48回日本レコード大賞の作詩賞を受賞した。

2007年8月から新たに設立されたヤマハミュージックアーティストがマネジメントが行う。

同年秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。

2009年11月3日、紫綬褒章を受章。

受賞に際して、うれしい気持ちを「棚から本マグロ」と表現した。

中島曰く、「ふつう、何か頂けそうでも辞退する(考える)ところだが、褒章はふつうではないため、すぐに返事をした」という。


中島みゆきについては、特集コーナーを作る予定です。



●中島みゆき「時代」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=9S-V_uUIgeA


ヤマハの世界歌謡祭 でもグランプリを取って、僕は初めて「中島みゆき」を知った。

「いやはや、とんでもない歌手が出てきたぞ」というのが最初の印象だった。

その後「暗い」というイメージがあった中島みゆきだったが、彼女のオールナイトニッポンでその「落差」に驚いて、ますますファンになった。

「時代」は僕が失恋するたびに聴いた曲。

「時代」を超えて、唄え継がれる歌だ。



●中島みゆき「空と君のあいだに」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=DeoWTEy6AxI


吉田拓郎の「冷たい雨が降っている」と同じ印象を受ける曲。

この曲で、世間的には中島みゆきが一躍有名になる。

このあたりから中島みゆきの世界が確固たるものになる。



●中島みゆき「地上の星」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE

そして、中年おじさんの間に一大ムーブメントを起こした名曲。

番組「プロジェクトX」そのものも素晴らしい番組だったが、この曲も歌詞の意味が深く、サラリーマンの心に感動を与えてくれる。



■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作■■
             ↓
日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作


■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作(2)■■
             ↓
日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作(2)

0 件のコメント: