2011年7月2日土曜日

「ヒッピー」になりたくて

どんな世界にいても、どんな国にいても、「落ちこぼれる」人がいる。

それは「いい悪い」ではない。

日本でも昔から、「駆け込み寺」があった。


現実に社会に馴染めない人を「受け止めてくれるシステム」がある社会がいい。

アメリカでは東海岸で「あ、俺、この世界、だめ」と思った人は西海岸に行き、ヒッピーになり、パソコンなどを作ってしまう。

カリフォルニアに行ったり、ロサンジェルスに行ったり。


僕に好きな詩人の茨木のり子は「落ちこぼれ」を「和菓子の名前いつけたいやさしさ」と表現している。



「落ちこぼれ」   茨木のり子


  落ちこぼれ
    和菓子の名につけたいようなやさしさ

  落ちこぼれ
    今は自嘲や出来そこないの謂

  落ちこぼれないための
    ばかばかしくも切ない修業

  落ちこぼれこそ
    魅力も風合いも薫るのに

  落ちこぼれの実
    いっぱい包容できるのが豊かな大地

  それならお前が落ちこぼれろ
    はい 女としてとっくに落ちこぼれ

  落ちこぼれずに旨げに成って
    むざむざ食われてなるものか

  落ちこぼれ
    結果ではなく

  落ちこぼれ
    華々しい意思であれ



会社を転々として、いわゆる一流の大手の製薬会社を辞めて、大手とは言えない普通のCROにいる僕は、ある種類の人から見たら「立派な落ちこぼれ」だ。

結果ではなく、僕の意思でなった「落ちこぼれ」でありたいと思っている。


ヒッピーになりたくて髪を伸ばし、フォークギターを買い、タバコを吸い始めたのは30年以上も昔し。


僕の昔話は誰かの未来。


落ちこぼれてもいいだよ。



人気ブログランキングへブログランキング
blogram投票ボタン