どんな世界にいても、どんな国にいても、「落ちこぼれる」人がいる。
それは「いい悪い」ではない。
日本でも昔から、「駆け込み寺」があった。
現実に社会に馴染めない人を「受け止めてくれるシステム」がある社会がいい。
アメリカでは東海岸で「あ、俺、この世界、だめ」と思った人は西海岸に行き、ヒッピーになり、パソコンなどを作ってしまう。
カリフォルニアに行ったり、ロサンジェルスに行ったり。
僕に好きな詩人の茨木のり子は「落ちこぼれ」を「和菓子の名前いつけたいやさしさ」と表現している。
「落ちこぼれ」 茨木のり子
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
今は自嘲や出来そこないの謂
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意思であれ
会社を転々として、いわゆる一流の大手の製薬会社を辞めて、大手とは言えない普通のCROにいる僕は、ある種類の人から見たら「立派な落ちこぼれ」だ。
結果ではなく、僕の意思でなった「落ちこぼれ」でありたいと思っている。
ヒッピーになりたくて髪を伸ばし、フォークギターを買い、タバコを吸い始めたのは30年以上も昔し。
僕の昔話は誰かの未来。
落ちこぼれてもいいだよ。
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