ひとりの人間が超人的に頑張る小説が好きだ。
「ホワイトアウト」(真保裕一著)のダム管理人のように、あるいは「テロリストのパラソル」(藤原 伊織著)に出てくるバーテンのように、ひとりの人間が危機に際して、超人的に頑張る話が好きだ。
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だけど、現実の場面では(特に日本では)、一個人のスーパーマン(ウーマン)の頑張りよりも、チームワークを組んで危機に臨む、ということが多い。
今の日本がまさにそうだ。
管総理が超人的に頑張ったところで、なんともならない。(だからと言って、頑張らなくていいというわけでは、もちろんない。)
現場の人間をいかに統括するか。
そのためには、普段から現場の掌握に努めていないといけない。
大工の棟梁のように。
あるいはオーケストラの指揮者のように。
福島原発の現場で奮闘している人たち。
避難所で炊き出しなどで頑張っている人たち。
がれきの中で呆然としながらも、行政機能を発揮させようとしている市役所の人たち。
こういう人たちのリーダーは普段から現場の人たちとのコミュニケーションを欠かさない。
危機に瀕して、いきなり、そう言われてもな・・・というのが日本人かな。
トップダウンでいくか、ボトムアップでいくか。
たとえば、カルロス・ゴーンは明らかに「トップダウン」タイプのリーダーだ。
「9.11」の時のニューヨーク市長「ジュリアーニ」もそうだった。
だけども、今、日本丸に必要なのは、「ボトムアップ」タイプのリーダーだ。(一般的には管総理の強力なリーダーシップを求めているけれどね。)
復興・復旧に向けて、学識経験者の意見を聞くのもいいのだが(ご意見噴出で収集がつかないようだ)、現場で、今、まさに、今、困っていることを速やかに解決していってほしい。
もちろん、その場しのぎというわけではなく。
昔から、鬼監督がいる現場は強い、と言われているが、現場の意見を日頃から吸い取っているからだ。
だから、いざ、というときに、鬼監督の指示が徹底される。
日頃、現場を軽んじているリーダーの声に現場の耳を向けさせるのは困難だ。
まずは、被災者のみなさんのプライバシーが確保できる安住の場を早急に作ることだろうね。
震災に強い街づくりは、そのあとでやればいい。
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