2011年10月7日金曜日

フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●中山ラビ「ひらひら」

●中山ラビ「ひらひら」

東京都生まれ。

詩人の中山容が訳詞したボブ・ディランの歌でライブ・デビューし、その後、大きな影響を受けたため、女ボブ・ディランといわれた。
「中山」姓も中山容にちなんだもの。
東京都内の喫茶店「ほんやら洞」のオーナーを務めながらライブ活動を継続している。年齢・本名非公表。

1966年6月のビートルズ来日公演に行く。
高校の英語の授業でボブ・ディランの歌を知る。
1968年にデビューした岡林信康の歌を聞いて衝撃を受ける。

また、高田渡、遠藤賢司、南正人らフォーク集団「アゴラ」の一員であったボロ・ディラン(真崎義博)に出会う。

1969年、大学1年の時、第4回関西フォークキャンプ(8月15日〜17日)に自費で参加。
ギターのコードを3つ覚えた程度で、京都の円山公園野外音楽堂での打ち上げコンサートで「俺じゃだめ」(ボブ・ディラン作詞・作曲、中山容=訳詞)ほかを歌って、ライブデビューし、1970年夏、大学2年の時、家出同然で京都に引っ越す。
同年からアルバイトをしながら、関西中心にライブ活動を開始。


●中山ラビ「ひらひら」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=-GsVRJzMLK8

僕が中山ラビを初めて知ったのはNHKのお正月の特別番組で、海援隊等と一緒に出ていた。
かったるい歌い方が気になり、次に、その歌詞の世界にひたった。


●中山ラビ「あてのない1日」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hcaPAvN59Ms

相も変わらずの中山ラビの世界だ。
こんな感じの歌を、今、唄うとしたら、椎名林檎ぐらいかな。





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