2011年5月12日木曜日

障害を持った子どもと障害児を持った親と社会と僕たちと

ダウン症児が連ドラ出演 脚本家「ありのままの姿を」
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http://www.asahi.com/health/news/TKY201105110493.html


治験を仕事にしている僕ですら、障害者の方を見ると、つい目を逸らしてしまう。

これではいけないな、と思っても、つい本能的に(?)に逸らしてしまう。

その時の僕の胸の内に去来するのは「障害者だからかわいそう。だから手助けしないと、でもそれも恥ずかしい、勇気が無い」というあたりだ。

障害者=ハンディを背負った方、というのは間違い無いが、だからと言って「かわいそう」とは限らない。

これは障害を持っていない人の思い上がりだ。

上から目線になっている。

僕たちの求められているのは障害者と「普通に接することだ。障害の無い方と同様に。」

「ああ。僕は目が見えてよかった」とは思わない。(世の中には物理的に目が見えても、「何も見えていない」人も多い。)


もちろん、目が見えない方に対するサポートなどは必要だが、その方は、「ただ目が見えない方」であって、「あくまでも僕たちと同じ人間」なのだ。

まず、僕たちに求められているのは、「ありのままの障害者」を見ることだ。

目を逸らさない。

同情もしない。

何が困っているかのサポートはするが「援助の手を差し出せば、それで良し」とは「思わない。」


まず、人間としてつきあうところから始めるのだ。


そういう意味で上記のニュースに出ていた「ケイプランニング」の考え方は素晴らしい。



障害者は「不便」だけど「不幸」ではないのだ。
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『一生迷ってろ。 そして失い続けるんだ。 貴重な機会を・・・・・』

チャンスに備えろ。そして迷うな!

欲しいものを手に入れるために重要なことはなんだろう?

まずは自分が欲しいものが何なのかをはっきりと自覚すること。

次に、それが目の前に差し出されたとき、迷わずすぐに手を伸ばすことだ。


チャンスは有限。

迷っている暇はない。

『世間は母親ではない。おまえらクズの決心をいつまでも待ってはくれない。』


手に入れたいものがあるのなら、常に目的意識を持っていなければならない。

「欲しいなぁ」なんて、ただぼんやり考えているから、チャンスが訪れても気づかず、ようやく気づいてもウダウダと迷い、グズグズと決断できないうちに幸運の女神は逃げて行ってしまう。

それを追いかけてももう遅い。

幸運の女神には後ろ髪はないのだ。


福本伸行『カイジ』より
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