2011年10月7日金曜日

フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●南こうせつとかぐや姫「神田川」

●南こうせつとかぐや姫「神田川」

1971年9月、高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成、シングル「青春」でデビュー。
吉田拓郎らの協力を得て制作されたファースト・アルバム『はじめまして』は、5万枚を売り上げる。

1972年3月、テレビアニメ「海のトリトン」(ABC)の主題歌として、シングル「海のトリトン」を『須藤リカ/南こうせつとかぐや姫』名義で発売。
番組のオープニング(最初の6回まで)またはエンディング(7回以降)で、須藤リカとかぐや姫がこの曲を歌う実写映像が使われた。

1973年9月、シングル「神田川」を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。
この年NHK紅白歌合戦に出場の話が来るが歌詞の中の『クレパス』が商標なので『クレヨン』に変更してくれといわれて拒否。
このため出場を辞退した。「神田川」は後に東宝において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。
その次のシングルとして南こうせつが考えていたのは「22才の別れ」か「なごり雪」であったが、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた「赤ちょうちん」をリリース(この曲からグループ名を「かぐや姫」に変更)。
その後も映画化の話が絡み「妹」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという。

1975年4月12日、東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを最後に解散。
南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風として、音楽活動を継続する。
最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』は、オリコンLPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。

1975年8月2~3日、再結成。
吉田拓郎、山本コウタローらとともに、静岡県掛川市で12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」を行い、5万人(警察発表では6万人)の観客を集める。
南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風としても出演。

2006年9月23日、吉田拓郎の呼びかけで再結成、静岡県掛川市で「つま恋2006」を行う。9時間半のコンサートに、日本各地から35,000人のファンが集まった。


●南こうせつとかぐや姫「神田川」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=acZYeirZ-J8

僕もこの曲でかぐや姫を知った。
NHKのFM番組で聴いたのが中学2年。
中2のくせに「しみじみ、いい曲だな・・・・」と思った。
次の日、学校で級友に唄ってみせたが、全然、感じてもらえなかった。
「4畳半フォーク」という言葉もこの歌から生まれた。



●南こうせつとかぐや姫「22才の別れ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=v1fZ_dqwKOg

この曲のイントロを友人と一生懸命、練習してクラス会で歌ったことがある。
途中の「ハーモニックス」(ポン!という高い音)がきいているよね。



●南こうせつとかぐや姫「僕の胸でおやすみ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=IqwEqfRJRTw

一般には上の2曲ほど有名じゃないけれど、いい曲だよね。
「日本のフォーク!」という感じだ。




●南こうせつとかぐや姫「あの人の手紙」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=5cSlEDVoWX8

かぐや姫としては珍しく「反戦歌」だ。
「22才の別れ」でかぐや姫のファンになった人が、つられてこの歌を聴く、というところに意味がある。




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